久保建英選手の高校はどこかご存じですか?日本サッカー界が誇る天才プレーヤーは、和光高校と第一学院高校という2つの高校を経て、プロの道を切り開きました。この記事では、久保建英と高校の関係を軸に、転校の理由、高校時代の伝説的なエピソード、通信制高校とプロサッカー選手の相性、そして現在の日本代表での活躍まで、余すところなく紹介します。「久保建英ってどんな選手なんだろう」と少しでも気になった方は、ぜひ最後まで読んでみてください。
久保建英の高校はどこ?最初の進学先・和光高校
久保建英選手が最初に進学した高校は、東京都町田市に位置する私立・和光高校です。偏差値はおよそ50で、全日制の普通科高校です。自由な校風で知られ、私服登校が認められているなど、生徒の個性を大切にする教育方針が特徴となっています。久保選手がこの学校を選んだ背景には、いくつかの明確な理由がありました。
和光高校を選んだ理由①外国語教育への強い関心
久保選手は10歳の頃、世界最高峰のクラブと名高いスペインのFCバルセロナの育成組織(カンテラ)に特別に入団し、スペインで生活した経験を持っています。その後15歳で帰国してからも、将来的に再びスペインでプレーすることを見据え、語学力の重要性を強く認識していました。和光高校は外国語教育に力を入れていることでも知られており、語学力を高めたいという久保選手の目標と合致していたのです。
和光高校を選んだ理由②自宅からのアクセスの良さ
久保選手の自宅から和光高校(和光学園)までの距離はおよそ5キロと非常に近く、通学のしやすさも選択の一因となりました。当時すでにFC東京の育成組織(U-18)に所属し、練習や遠征で多忙な日々を送っていた久保選手にとって、通学時間の短さは生活リズムを整えるうえで重要なポイントでした。サッカーと学業を両立させるための現実的な選択だったといえるでしょう。ただし、和光高校への在学期間は約7〜8か月と短く、その後プロ契約を機に通信制の第一学院高校へ転校することになります。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 高校名 | 和光高校(私立・全日制) |
| 所在地 | 東京都町田市 |
| 偏差値 | 約50 |
| 在学期間 | 約7〜8か月(高校1年の途中まで) |
| 選んだ主な理由 | 外国語教育の充実・自宅からの近さ |
第一学院高校とは?サッカー選手との相性が抜群の理由
久保選手が転校した第一学院高等学校(旧名:ウィザス高等学校)は、茨城県高萩市に本校を置く通信制・単位制の高校です。全国各地にキャンパスを展開しており、生徒は自分のライフスタイルに合わせて学習ペースを調整できます。偏差値という概念はなく、学習内容よりも「自分のペースで学ぶ」ことが最大の特徴です。
通信制高校だからこそできる柔軟な学習スタイル
第一学院高校のような通信制高校は、登校日数が少なく(年3日〜週1日程度)、レポート提出と年数回のスクーリング(対面授業)を中心として卒業要件を満たす仕組みになっています。プロスポーツ選手や芸能活動をしている生徒にとって、遠征・試合・練習スケジュールに合わせながら卒業資格を取得できるこの形式は非常に合理的です。久保選手のように16歳でプロ契約を結び、Jリーグの公式戦に出場するような選手には、まさに理想的な環境といえます。
第一学院高校が輩出した日本代表選手たち
第一学院高校はサッカー界においても、多くの優秀な日本代表選手を輩出していることで知られています。2022年のカタールワールドカップでは、日本代表26名のうち4名が第一学院高校の卒業生という驚くべき事実が明らかになり、「最も多くのW杯代表選手を出した高校」として注目を浴びました。以下の表に、第一学院高校出身の主な日本代表選手をまとめました。
| 選手名 | 主なポジション | 代表的な所属クラブ・実績 |
|---|---|---|
| 久保建英 | MF(攻撃的MF) | FC東京→レアル・マドリード→レアル・ソシエダ。2022年・カタールW杯日本代表、2020東京五輪日本代表 |
| 酒井宏樹 | DF(右サイドバック) | ハノーファー96→マルセイユ→浦和レッズ。2018・2022年W杯日本代表 |
| 山根視来 | DF(右サイドバック) | 川崎フロンターレ→LAギャラクシー。2022年W杯日本代表 |
| 伊藤洋輝 | DF(センターバック/左サイドバック) | シュトゥットガルト→バイエルン・ミュンヘン。2022・2026年W杯日本代表 |
| 柿谷曜一朗 | FW | セレッソ大阪→シントトロイデン。ブラジルW杯・日本代表 |
| 原口元気 | MF/FW | ウニオン・ベルリン→浦和レッズ。2018・2022年W杯日本代表 |
| 野澤大志ブランドン | GK | FC東京→ロイヤル・アントワープ。パリ2024五輪日本代表 |
| 高井幸大 | DF(センターバック) | 川崎フロンターレ。2026年W杯アジア最終予選・日本代表 |
2022年カタールW杯の日本代表26名のうち4名が第一学院高校の卒業生であり、「W杯代表を最も多く輩出した高校」として大きく取り上げられました。これほど多くのトップ選手を生み出した背景には、柔軟な通信制システムがサッカー選手の競技活動と学業の両立を支えてきたという事実があります。
プロ契約と転校の経緯——16歳でJリーガーになった瞬間
久保建英選手の高校と転校の経緯を理解するためには、彼の幼少期からのサッカー人生を少し振り返る必要があります。2001年6月4日、神奈川県川崎市生まれの久保選手は、幼い頃からその類まれな才能でサッカー界に注目されてきました。
バルセロナへの挑戦から帰国、FC東京の育成組織へ
久保選手は2009年、横浜で開催されたFCバルセロナのサッカーキャンプに参加し、そのMVPに輝きます。その縁もあり、2011年に川崎フロンターレのU-10に所属していた10歳のときに、FCバルセロナの育成組織(カンテラ)への入団が決定しました。FCバルセロナには「13歳未満のカタルーニャ出身以外の選手とは契約しない」という内部規定があったものの、久保選手に対しては特別扱いが適用されたほど、その才能は際立っていました。スペインでおよそ4年間を過ごし、現地の学校にも通ったことで高いスペイン語力を身につけます。その後2015年に帰国し、FC東京の育成組織に入りました。
2017年11月、高校1年生でプロ契約締結
和光高校に在学していた2017年11月1日、久保選手はFC東京とプロ契約を結びます。これにより、彼は高校1年生にしてJリーガーとなりました。プロ選手となった久保選手には、リーグ戦・カップ戦・アンダー世代の日本代表活動など多忙なスケジュールが待ち受けており、全日制の和光高校に毎日通学することは現実的ではなくなりました。そこで、選手活動と学業を両立できる環境を求めて通信制の第一学院高校への転校を決断します。転校は2018年シーズン開幕前後のことで、当時のニュースはYahoo!JAPANトップニュースにも掲載されるほど大きな注目を集めました。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 2001年 | 神奈川県川崎市に生まれる |
| 2009年 | FCバルセロナキャンプでMVP受賞 |
| 2011年 | FCバルセロナ育成組織(カンテラ)入団(10歳) |
| 2015年 | 帰国。FC東京の育成組織入り |
| 2017年4月 | 和光高校に入学 |
| 2017年5月 | ルヴァンカップでFC東京トップチームデビュー(15歳) |
| 2017年11月 | FC東京とプロ契約締結(高校1年生・16歳) |
| 2018年 | 第一学院高校(通信制)に転校 |
| 2019年 | 第一学院高校卒業。スペインへ再渡航。レアル・マドリードと契約 |
高校時代の伝説的エピソード——久保建英が残した強烈な印象
久保建英選手の高校時代には、後に「伝説」と語り継がれるようなエピソードが数多く存在します。第一学院高校でのわずかな登校日数にもかかわらず、関係者たちは彼との時間を鮮明に覚えており、その記憶は久保選手の人柄と才能を雄弁に物語っています。
「数学の質問の嵐」——探求心あふれる高校生の姿
第一学院高校の高萩本校担当理事を務める皆川正明さんは、毎日新聞のインタビューで久保選手についてこう語っています。「とにかく質問をしまくっていた。数学ではマニアックなことも聞いてくるなど、質問の嵐で有名でした」。通信制高校では年に数回のスクーリング(対面授業)が必須となっており、久保選手はその限られた登校日に持ち前の好奇心を全開にして授業に臨んでいたのです。プロ選手として多忙な毎日を送りながらも学業への真摯な姿勢を崩さなかった久保選手の姿は、教員たちに強い印象を与えました。数学においても「マニアックな質問」を連発するほどの探求心は、サッカーのプレースタイルにも通じる久保建英の本質的な部分といえるでしょう。
「音が消える」体育のボールタッチ——サッカー部員たちに与えた衝撃
2018年12月、第一学院高校の体育実技の授業で、球技としてサッカーが選ばれました。このとき久保選手は学校のサッカー部員たちと短時間ながら一緒に練習する機会に恵まれました。その場にいた関係者は「ボールタッチのときに音が消えた」と表現したと伝えられています。通常、ボールを蹴ったりトラップしたりすると「パン」という音が鳴るものですが、久保選手のボールコントロールはあまりにも柔らかく繊細で、その音さえも感じさせないほどだったということです。プロとアマチュアの圧倒的な差を、高校の体育館で目の当たりにしたサッカー部員たちの驚きは想像に難くありません。また、久保選手はこの練習の中でもサッカー部員たちに丁寧にアドバイスを送るなど、その謙虚な姿勢も印象的だったと伝えられています。
高校卒業後のキャリア——FC東京からレアル・ソシエダへ
第一学院高校を2019年に卒業した久保建英選手は、同年スペインに再渡航し、いよいよヨーロッパトップレベルへの本格的な挑戦を開始します。高校時代に培ったプロとしての経験と精神的な強さを土台に、その後のキャリアは急速な飛躍を遂げていきます。
レアル・マドリード契約とスペイン各クラブへの武者修行
2019年夏、久保選手は世界屈指の名門クラブ、レアル・マドリードと正式に契約を締結します。ただし、すぐにトップチームの主力になれるわけではなく、RCDマジョルカ(1部昇格に貢献)、ビジャレアルCF、ヘタフェCF、再びRCDマジョルカと、複数のクラブへのレンタル移籍を経験しました。それぞれのクラブで自分のスタイルを磨き、スペインリーグ(ラ・リーガ)での経験値を積んでいった久保選手。この「武者修行」の時期が、後のレアル・ソシエダでの活躍を支える礎となりました。
レアル・ソシエダへの完全移籍と飛躍の日々
2022年夏、久保選手はバスク地方のクラブ、レアル・ソシエダ(ラ・レアル)へ完全移籍します。クラブ会長が「3年前から追いかけていた」と語るほど、レアル・ソシエダは久保選手を熱望していました。移籍後は主力として安定した活躍を見せ、2023〜2024シーズンにはチャンピオンズリーグ(欧州最高峰のクラブ大会)に日本人として出場し、さらにラ・リーガの月間最優秀選手に日本人として初めて選ばれるという快挙を達成しました。ラ・リーガ月間最優秀選手への選出は、日本人として初めての快挙であり、久保選手がヨーロッパの最前線で認められた証となりました。
| 時期 | 所属クラブ | 主な出来事 |
|---|---|---|
| 〜2019年 | FC東京(日本) | 高校在籍中にプロデビュー・プロ契約。J1リーグで活躍 |
| 2019〜2021年 | レアル・マドリード(スペイン) | RCDマジョルカなどへレンタル移籍。ラ・リーガ各クラブで経験を積む |
| 2022年〜現在 | レアル・ソシエダ(スペイン) | 完全移籍。チャンピオンズリーグ出場。ラ・リーガ月間MVP(日本人初) |
日本代表における久保建英の現在の状況と立ち位置
和光高校から第一学院高校への転校、高校在学中のプロデビュー、そして欧州での飛躍——すべての経歴を積み重ねた久保建英選手は今、サッカー日本代表における最重要選手のひとりとして確固たる地位を築いています。
「10番」を背負うエースとして
久保選手は2019年6月に初めて日本代表に招集されて以来、代表チームの核となり続けています。2025年6月には、2026年北中米ワールドカップに向けたアジア最終予選の最終節で、背番号「10番」を背負ったうえにゲームキャプテンとしてもピッチに立ちました。この試合で久保選手は1ゴール2アシストの大活躍を見せ、日本代表の6対0という大勝に貢献。プレーヤー・オブ・ザ・マッチにも選ばれました。「リーダー気質じゃないと自分では思っている」と語りながらも、「ピッチ内で見せたい」と誓ったとおりに圧倒的なパフォーマンスでチームを牽引する姿は、まさに日本代表のエースそのものです。
2026年北中米ワールドカップへ向けた期待と現状
2026年3月時点では、レアル・ソシエダでの負傷により一時的に戦線を離脱していましたが、監督から「来週には復帰時期を話せるかもしれない」とコメントがあるなど、回復が順調に進んでいることが報告されています。2026年1月のラ・リーガでは直近5試合で1ゴール2アシストを記録し「最近の調子はトップクラス」と海外メディアから高く評価されていたため、ワールドカップ本番に向けてコンディションを整えていることは間違いないでしょう。第一学院高校という通信制の環境で学業とプロ活動を両立させ、10代でスペインの地に飛び込んだあの選択が、今の久保建英を作り上げたといっても過言ではありません。2026年北中米ワールドカップでは、「10番」を背負うエースとして日本代表を悲願のベスト8以上へと導くことが期待されています。
高校という10代の多感な時期に、全日制から通信制へという大きな決断をし、プロとして活動しながら学業も続けた久保建英選手。「数学の質問の嵐」に象徴される飽くなき探求心と、「音が消える」ボールタッチに代表される類まれな才能は、高校時代からすでに輝きを放っていました。和光高校・第一学院高校という2つの高校での経験は、日本サッカー史上最高の選手へと成長する久保建英の、たしかな礎となっているのです。



